戦後資本主義の日本に生まれて約60年。
そろそろ価値観を変える時なんじゃないか?
そんな気がしている。
今の世の中、生きて行く為に必要なものはお金であって、食料ではない。
「生きて行けない=食えなくなってしまう」とは、「お金を失うこと」で、「食料が手に入らないこと」を直接に意味していない。
生きてい行くうえで最大の恐怖とは「お金を失うこと」であって、飢餓などではないのだ。
僕は、明らかに資本主義に洗脳されて生きている。
いざとなったら、自給自足で生きて行くなどと言う覚悟など、これっぽっちも持っていない。
未来の安心を得るがために仕事をして、お金を貯める生活。
ジタバタしながら仕事にありつこうとする、どこにでもいる定年退職再雇用者である。
しかし、時々いったい何のために生きているのだろうと思う。
いやいや、哲学的な命題など探し求めているのではない。
「生きる為=食べる為」にお金を稼いで、いったい何がしたい?
生きていたいだけなのか?
じゃぁ、いったい何の為に生きる?
何の目的の為に生きる?
全くもって不可思議な人生である。
定年退職後、豊かな老後の為には〇〇〇〇万円の貯蓄が必要である。
新聞、雑誌、テレビ、ネットニュース・・・あらゆるメディアが、そう言い続けている。
このブログで、僕もその手の記事を書き続けてきた。
定年、再雇用、年金、給付金、税金・・・このブログの大半がそんな記事だ。
しかし、本来であれば
これから先、生きて行くって、いったいどうすることなのか?
この先の人生を楽しむって、いったいどうすることなのか?
そんなことを考えるべきなのだ。
お金に縛られて生きるのではなく
いやいや、もちろんお金は大切なのだが。
そのお金をどう使っていくのか?
これからの時間をどう使っていくのか?
そんなことを語るべきなのだ。
将来の不安解消の為に働くことをあおり続けるのは本意ではない。
お金を集めて、余裕ができたら〇〇の為に使うのではなく
〇〇する為にお金を集め、使うべきなのだ。
その〇〇には、「人生を楽しむ」と入れておきたい。
なんだか大そうな宣言のようだが、どうってことはない。
御年60ウン歳にして、ようやく資本主義的価値観の呪縛に気づいただけなのである。
あなたも、こんな風に思ったことはないだろうか?